Rabbit Hole 0044

書きたいことを書きたいときに

AIが棋士に勝つようになることの意味

よく「たとえAIが将棋で棋士に勝つようになっても、棋士の価値は変わらない」っていう意見を耳にするけど、自分の考えは少し違う。

AIが将棋で100%人間の棋士に勝つようになったなら、棋士の価値は限りなく低くなると思う。

 

そもそもこのエントリーを書こうと思ったのは、さっき「自動車が人間より早く移動するようになっても陸上競技の選手の価値は変わらないように、AIが上を行こうが棋士の価値は変わらない」って意見を耳にしたからなんだけど、自分が思うに、この2つには決定的な違いがあると思う。

そして、その違いこそが、棋士の価値がAIの強さに左右されることの説明になってると思う。

 

その違いってのは、「究極的に、何が目的なのか」ってこと。

 

陸上競技の究極の目的は、「人間はどこまで速く走れるようになるのか?」の追求だと思う。

そしてここが重要なんだけど、その答えは人間の中にしかない。

自動車がどんなに速く走れるようになろうと、それはこの疑問の答えとは何の関係もない。

だから自動車が進歩しても陸上選手の価値は損なわれなかったし、これからも損なわれない。

 

一方で、将棋の究極の目的は、「最善の一手は?」の追求だと思う。

将棋っていう競技は、つまりは一手毎にこの追求を繰り返すことだと思う。

ここで重要なのは、その疑問の答えは、いわば「論理」の中にあって、人間の中にあるものじゃない、って点。

陸上競技とは違って、その答えにたどり着くのが機械でも人間でも、手に入れた「最善の一手」の価値は変わらない。

 

だから、いつかAIが将棋という競技を完全に解読し、(オセロみたいに)常に100%の最善手を指せるようになる日が来れば、棋士の価値は0になるし、もしかすると将棋という競技の意義すらなくなってしまうかもしれないと思う。

そして現状を見るに、今後棋士が力をつけてAIを再び負かせるようになる日が来るとは考えにくい。

そのことを踏まえると、棋士という職業の価値は今後失われる一方なんじゃないかと思ってしまう。

 

 

…と、ここまで勢いで思ったことを書いてみたけど、書いてる途中で「いや…そうでもないか…?」とも思ったので、それも書いておこう!めんどくさいから箇条書きで!

  • 自分の中で「最善の一手」の定義は、単純に「最も勝ちにつながりやすい一手」だったんだけど、もしかすると人によっては「対戦者同士の因縁やこれまでの戦績や得意戦法、もろもろの前提を踏まえた上で、最も熱くなれる一手」だったりするんじゃないかな?将棋を野球やサッカーと同じようにスポーツと考えれば、そういう考え方もできるよなー
  • 今もオセロを楽しんでいる人はいっぱいいるんだから、将棋の価値がなくなることもないんじゃないの?
  • たとえ競技人口が0になったとしても、将棋のこれまでの歴史やドラマ、名局なんかを踏まえると、最終的に機械が全ての答えを見つけたからって、将棋や棋士の価値が0になるってのも短絡的過ぎだよね…

 

以上ー。「思う」って書き過ぎだなこのエントリー…